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2013.04.19

連載☆明るい介護⑭【母の入院6】

母の手術から1ヶ月位経つと

もう入院中の毎日の仕事と言ったら
リハビリと包帯の取り替えくらいになってくる。

父が病室に詰めていられる期間は

今までの経験で約3週間が限度だ。

だから手術前にも1ヶ月以内の退院をお願いしていた。

あとはもうリハビリに通えばいいはずと
思ってからも退院の許可がなかなか降りない。

どうやらやけどの後の感染症の心配があって
それが自宅では管理が難しいということらしい。

確かにリュウマチで
自己免疫抑制剤を服用している母は
感染症を起こしやすい。

だけど
ガーゼや包帯の交換だけなら通院でもなんとかなる。

そう思いながら
一度やけどの手当をするところを
見せてもらおうと皮膚科受診に付き添った。

そしてその傷口を初めて見た私は絶句する。

母の薬指と小指の外側の皮膚は

完全に焼け落ちて
両方の指の第2関節から先の
指の骨がむき出しになっていたのだ。

医療過誤。。。

すぐに頭にこの4文字が浮かんだ。

そしてそのまま
その言葉が口をついて出た。

「先生、これは医療過誤ですよね。」
私のからだは自覚できるくらい震えていた。

2013.04.18

連載☆明るい介護⑬【母の入院5】

母の右手の腱はつながった。
手術は大成功だ。

だけど母の右手は思うように曲がらない。
まずは術後の痛みがあるのだろう。。。と様子を見た。

確かに「痛い、痛い」を連発する母。

作業療法士さんが毎日リハビリしてくださるが

ほぐしてもらった拘縮が

あっという間に元に戻る。

リハビリとは、してもらうものではなく
自分の意志でするものだと痛感する毎日。

次第に家族みんながスパルタになっていく。
母の顔を見ると
私も弟も父までも手を曲げる練習をしているかと詰問する。

母のリュウマチの主治医は手術に反対だった。
手術がうまくいっても手が動かなくなる人もいるとおっしゃっていた。

手術してリハビリがうまくいかない母を見て
やっと主治医の言葉の意味を理解した。

高齢者の手術は
若い元気な人と比べると
機能の回復もその意欲も全く比べ物にならないことに
愕然とする。

これは大変なことになったと
手術成功という目の前の明かりはどんどん遠のいていく。

そしてそれに隠れて
意識が薄くなっていたが
母のやけどはいつまでたっても包帯が取れなかった。

そんなにひどいやけどだったのか。。。

そのやけどが母を追い込み
父の入院の原因になるなんて
そのときは誰も想像できなかった。。。。

2013.04.17

連載☆明るい介護⑫【父の入院1】

連載☆明るい介護⑧【母の入院1】

でも話したように

病院ではいつも母に付きそう父の姿があった。

朝は9時に出勤する。。。

いやいや勤務ではないが父の中ではそれに近い。

病院の朝と言えば

血圧チェック、問診、検査、入浴など

結構患者も忙しい。

病院は午後に面会時間を設けているが

その理由もわからず

とにかく「お母さんが一人ではかわいそうだ」という

突き上げるような思いだけで

迷惑なんてお構いなし。

自分の思いを正当化して病院に駆けつける。

本当は自分が「一人じゃかわいそう」なんだと思う。

気がつけば面会時間の午後20時まで

病院に居続ける始末。

弟と交代で

送っていったり迎えに行ったりして

病院滞在時間を調整する。

誰が入院していて大変だったのか忘れるほど

父に手を取られる患者と家族。

そう、入院している母も

「帰って」とか「もういいよ」と言えずに

側にいる父を気遣いながら入院生活を送っていた。

病院では評判の「妻思いのいい旦那さん」になった。

考えてみればすぐわかるが

せまい飛行機の客席に座っているだけで

エコノミー症候群になると言われるのに

毎日、4人部屋の病室の片隅に

パイプ椅子ひとつに腰掛け続けることが

どれほどの負担になっていくか。。。

入院生活が2週間を過ぎる頃から

父が自宅で転倒することが3度続いた。

一度目は玄関を出てすぐ転び、

手や顔に青あざを作りながらも

母の側にやってきた。

病院だから

怪我の受診を勧められたが

それも断り母のそばにいる父。

3度目の転倒で

ついに父は起き上がることができなくなった。

2013.04.13

連載☆明るい介護⑪【母の入院4】

母の入院中のある日、

私の予定がキャンセルになった。

私都合のキャンセルではなく

最初は「待ちにまった人」とお会いする日だったので

残念・・・ダウンという気持ちでいっぱいだった。

でもね。。。

結局

母の病院に付き添って

主治医、作業療法士の先生と

母のリハビリ計画についてゆっくりお話しすることができた。

そして

父のところに手料理を持っていき

いろいろな話もしてきた。

「残念」と思っていた私の気持ち。

その「残念ダウンと言う気持ちは

その日の私がどこか心の奥底で抱いていた

別の出来事の感情だったのでは。。。。

と思ったのだ。

**********

目の前のどんな出来事でも

見方は「陰陽」の2種類。

どんな感情を抱くかで

本当の私の調子を知ることができる。

 

この人形は

母の右手のリハビリのために買ってきたもの。

ゆっくり握ると音が出る。

「ありがとう」と言ってくれたものの

いつ行ってもうつ伏せで置いてある。

聞くと母はこう言った。

「だって、いっつもこっちをにらんでいる。。」と。

このかわいいうさぎが

母にはにらんでいるように見えるのか。。。

真面目な母は

うまくいかないリハビリさえ

私にどう思わえるか心配なんだな悲しくなる。

その気持ちを振り切って

明るく母に言った。

「お母さん。やる気は要らんよ。その気になるだけ!」

そう言って病室の小さなホワイトボードに書き込んだ。

「やる気は要らんのやねー。」

と言いながら私が書いたホワイトボードの文字を

見つめる母。

お母さん、

私はね。。。

お母さんに治っていく楽しみ、喜びを味わって欲しかっただけなんよ。。。。

やる気でも

その気でもどっちでもいい。

お母さんが楽しめるのはどんな方法???

ずっとそればっかり考えていた。

それが見つけられない自分が残念だったのだ。

2013.04.13

連載☆明るい介護⑩【母の入院3】

母の術後の腱は痛みのため拘縮していた。

曲がるために手術したのに

関節と筋肉が固くなってなかなか動かない。

 

母のリハビリへの意欲はほぼ「無い」に等しかった。

 

そして握ってみてーというと

ほんとに軽く握ったり広げたり。。。

 

当時の母のリハビリについていて

ずっと私が母に言い続けていた言葉。

 

「お母さん、そんなに急いで関節曲げたらだめ!

 ゆっくりゆっくり3倍くらい時間をかけてゆっくり曲げてみて!」

 

ゆっくりゆっくり。。。

母の入院以来

朝、夕の食事の世話のため

ほとんど仕事にならず。。。

何だかひとり世間から取り残されたような気分の私は

少し焦っていたようだった。

 

母への言葉は今の私への言葉ニコニコ

 

ゆっくりゆっくり

3倍くらいの時間をかけて動いてみようチョキ

 

両親の入院には

たくさんの私へのメッセージが込められていた。


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