ちょうど東京での出版記念講演会の時です。
ファンクラブ会員No.1のだんなさんが
皆さんに挨拶しているときにタイミング悪く
私の携帯が鳴ったのです。
あわてて消して
あとで着歴を見たら母の入所施設からでした。
「もし、治療が必要と考えているのであれば
もう限界です。入院を考えてください。
もし、自然に看取ることをお考えでしたら
施設で最期まで看取らせていただきます。
ご姉弟でお決めください。」という内容でした。
弟と私の意見は一致していました。
施設にお願いすることにしました。
そして、その日から朝晩飲んでいたお薬をすべてやめました。
食べることもままならぬほど
体力も気力も落ちて
それがさらに食への意欲を削いでいくことになりました。
けれど点滴など一切せず
食べられるものを食べられるだけ・・・
水分も1時間おきに口に少し含ませてもらって
調子の良い時はすいかのジュレをいただいて
「ああ。おいしい」と言ったそうです。
むくんで浸出液が出ていた足は
徐々に細くなり、顔はしわしわになることもなく
そんな量しか食べていないにも関わらず
きれいな顔とからだのままで
というかきれいになって
最期は本当に息を吸ったまま
まさに息を引き取りました。
元々美人だった母ですが
本当に本当に美しい死に顔でした。
最後の3ヶ月はそばに一緒にいた父や
私たち姉弟が十分にあきらめがつくように
介護させてくれたのだと思っています。
シルバーウィークの連休中に
亡くなり葬儀も済ませて
誰にも迷惑かけずに。
送ってほしい人には
全員生前に奇跡的に会って話しもしていました。
葬儀の3日後に初の海外仕事で
サンフランシスコに出かけた私ですが
母は私についてきていたと思います。
不自由なからだで思うように出かけられなかった母でしたので
ずっと私と一緒に海外旅行を楽しんでいたと思います。
母から死ぬこととは・・
つまりは生き様とは・・・
そのものを
教えてもらった気がしています。
私はからだの気持ちがわかるようになってから
母の人生は不幸だったのではないか・・・と
どこかで思っていました。
でも死に様を見て思ったのです。
母はいつも目の前の事実を淡々と受け止め
それでよかったのだと思っていたのでは。
そしてそれが家族のためであることに
一点の迷いもなかったのではないかと。
「老衰」という亡くなり方で
母は自分の「生」を思いっきり肯定して
人生を終えたのだと思いました。
そしてそんな母の娘で本当によかった・・・
こころから誇りに思いました。
お母さん
たくさんのことを教えてくれてありがとう。
そしてこれからも一緒にいろんなところに行こう!
これからがおかあさんの
楽しい人生の続きなんだから。