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2013.05.05
実は入院当日
母を担当してくださっているリハビリ担当の先生が
父の病室にやってこられた。
そしてこうおっしゃった。
「お父様のような性格の方は
あまり長い入院はおすすめしません。
毎日お母様の面会に来られていたので
なんとなく性格は把握しているつもりです。
できるだけ早く退院できるように
リハビリも含め、ご家族が対応されることをおすすめします」と。
母がとってもよくしていただいていたので
わざわざ病室にきてくださったのがうれしかったが
その時にはそのことの意味をまだ理解していなかった。
明るい介護㉗【父の入院・怒号】
で
父が主治医に怒鳴っていたのはその夜のことだ。
安定剤で落ちついた父を見届けて
その日、自宅で私も久しぶりにゆっくり休んだ。
そしたら次の日
「お父様のことでお話があります」と
病院から呼び出しの電話が。。。
あわてて弟と二人かけつけると
そこには見たこともない父の姿があった。
2013.05.04
父の興奮ぶりに近寄って
「先生に失礼でしょ!」
理由は把握できていなかったが
とりあえず父を諌めてしまった。
入院が決まったとき
診察室から病棟に上がるとき
父は先生に聞いていた。
「先生。わたし、ゆっくりですが
家でも一人でトイレ行ってたんです。
入院中もそうしてよろしいか?」
先生はにっこり笑っておっしゃった。
「いいですよ。
お父さんのペースでがんばりましょう^^」
それなのに
転倒が心配で病棟に上がるなり
ベッドに柵を施され
尿瓶を持ってこられたらしいとわかった。
父を諌めたことを後悔した。
看護師長さんは研修でおられなかったが
私はナースステーションの行ってお願いした。
「父を一人でトイレに行かせてやってもらえますか?」
診察室での話をし、
一応理解してもらった。
けれど
相当な興奮ぶりで
怒りの治まらない父に
今夜は興奮を収めるために
安定剤を使わせていただきます。。。と言われた。
断って
付き添えばよかった・・・
と後で思った。
けれど母のリハビリと
父の自宅介護で
わたしもほとほと疲れていた。
了解して帰宅した。
それが後で大変なことになっていった。。。
2013.05.03
話しがしばらく父の病歴に飛んでいたので
入院の話に戻す。
父の病歴で
どんな性格か少しわかっていただけたでしょうか。。。
そんな父の決断が明るい介護⑳【父の入院5・覚悟】
だった。
主治医のところに行って
手術を受けないという思いを伝えた。
主治医もとても良い先生で
こう言ってくださった。
「お父さんのお気持ちはわかりました。
ただ、今自宅で療養されても
ご家族の介護も大変だと思うので
入院して少し歩けるようになるまで
治療を続けながら
ご家族に介護の仕方をお伝えしながら
介護保険をどう使っていくかなど
ケアワーカーさんと相談していきましょう。」
なんとありがたいことでしょう。
正直
母も退院してきた直後で
二人をどうやって看ていったらいいか
途方にくれていたので
本当に本当にありがたいお話しだった。
そして直ぐに入院。
私は父の入院の支度をするために自宅に戻り
夕方また、その荷物を持って病院へ。。。
そしたら
父が廊下に響き渡る声で怒鳴っている。
さらに主治医が父に謝っている。
いったい何が起こったのだろう。。。
私は当惑する。
2013.05.02
半身不随など大きな後遺症は免れた。
けれど言葉は極端に減った。
話しかけても反応が遅く、
15分話すと眠ってしまう。
しばらくそんな日々が続き
私はもう元気な父には戻らないのだと
半ばあきらめていた。
もっといろんなことを
教えてもらっておけばよかった。
もっと父の元に顔を出しておけばよかった。
後悔ばかりが頭をよぎった。
当時管理薬剤師の傍ら
オーダーサプリメントの処方をしていた私は
いろいろなサプリの情報を集め
あるミネラルを父に飲ませた。
すると
それから3か月。
みるみる回復していく父がいた。
会話もずいぶんスムーズになった。
私の中では奇跡だった。
今もそのサプリのおかげなのか
家族の祈りなのか
父の生命力なのか
理由はわからないが
元の父にだんだん近づいていった。
それでも出先で
なんでもない段差で躓いて
転んで肋骨を骨折したり
すぐに言葉が出てこなかったり
やはりそれまでの父とは違う父になっていった。
その頃から
現在に至るまで
老いて動かなくなる体に呼応するように
父の内側でも
こころの変化が見られるようになった。
できないことへの諦めと葛藤。
その二つがいつも同居しているようだった。
さて、話を昨年末の転倒に戻していこう。
2013.05.01
病院に連れて行って
検査をしたらすぐに脳出血だとわかった。
けれど症状も軽く
血圧コントロール、麻痺と脳の浮腫を防ぐ点滴を
1週間ほど続けた。
大事に至らなくてほっとした。
原因の多くは「高血圧」。
父の高血圧の気持ちは。。。
まず、血圧とは
心臓から全身の血管に配られる血液によって
各血管に与えられるパワーでありプレッシャーです。
そのパワーによって
血管はその役割を果たし
全身を動かす源になってくれています。
しかし、そのプレッシャーが大きくなり過ぎると
血管が持ちこたえられなくて
破れてしまったり、
血管の老化によって硬化すると詰まってしまったりするわけです。
つまり心臓と血管の共同作業に
不調和が起こった状態を脳卒中(脳梗塞・脳出血)というのです。
父の性格から言うと
決して人に弱みを見せない親分気質が
良い方向性に出ているときは
私にとっての「スーパーマン」と見えているようなとき、
また、それが行き過ぎた時には
全て自分の思い通りにしないと気が済まないという
「コントロールのパワー」に見えるときなんだと思う。
そして外向き
スーパーマンであるためには
負の「コントロールのパワー」を制御しているのが
実は母であったりするのだった。
いずれにしても「24時間闘えますか?」の
高度成長期を生き抜いてきた人だからこそ
常に交感神経優位の緊張した思考を
持ち続けていたことには間違いない。
そしてこの脳内出血により
自分自身をうまくコントロールできない状況に陥っていく。
コントロールすることの難しさを
自ら知り、
誰かの助けがなければ生きていけないという現実に
向き合わされていくのだ。
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