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2013.05.13

連載☆明るい介護㉞【父の入院13】

下血しているという連絡を受けて
病院に駆けつけると
父はやはりしんどそうだった。

病院に着いて早々に
またトイレに行ったら
便器の中は真っ赤だった。

これは尋常ではない。。。

迷った。。。

大腸の検査するべきか・・・。

でもいずれにしても
今日ではないと思った。

止血。


取りあえず止血が先だ。


主治医にお願いした。

「今、飲んでいる血液をサラサラにするお薬を
やめてください。
そして止血のお薬をお願いします。」


というのも
トイレの血があまりに鮮血だったので
これはきっと肛門付近の血のような気がした。

そして
入院してお薬を毎日きっちり飲んでいるが
父は家では最近はそのお薬をしばらく止めていた・・・
ということを思い出した。

ひょっとしたら
お薬が効きすぎているかもしれない。。と言う思いが頭をよぎった。

主治医に話すとこう言われた。

「今、検査しないと
がんなどがあったら治療が遅くなりますが宜しいですか?」

その言葉を聞いて私は思った。

一般の人は
こういう風に言われたら
検査を受けますって言うんだろうなあ。。。と


大腸の検査は検査の前に
おなかを空っぽにするために
下剤や浣腸、腸洗浄など準備だけで体力を使う。

そして大腸の検査も
今はスコープもよくなって
時間も短い時間で済むが
それでもせん妄から少し楽になった父には負担が大きすぎる。


父は普段から便秘することをとても嫌う人だった。
トイレで便が出ないと
おしりに指を入れることもある。

そうは思いながらも
「がんがあるかもしれませんよ」な~んて
言われて平常心の人はやっぱりいないと思う。


自分の中でいろんな感情が高ぶり
泣きそうになりながらも私はこう返事していた。

「今、がんになっていたとしても
抗がん治療はしないので今は、検査は受けません。」

2013.05.12

連載☆明るい介護㉝【父の入院12・下血】

ちょっと落ち着いて
お昼ご飯や晩御飯のときに
ついていれば
ほぼ大丈夫になった父。

落ち着いたと思った2日後のこと。
病院から連絡があり
脳のCTとMRIを撮るという。

「はあ????」

意味が全くわからない。

するとこう言われた。

以前、脳梗塞をされているので
念のため、経過を見たいので
CT.MRIを撮らせてほしいと言う。

せん妄が落ち着いたばっかりの今??

今、MRIなど
不慣れな検査をすると
また、不穏になるかもしれないので
少し待ってくれとお願いした。

それでは・・・と
後日に回してもらった。

病院のすることに
不安を感じていた矢先

今度は父が下血したと連絡。
すぐに大腸検査をするという。

ちょっと待って~。

大腸検査を取りあえず中止してもらい
病院に急ぎ駆けつける私。

別にもめたいわけではないのに
また、病院と戦うのか。。。

2013.05.11

連載☆明るい介護㉜【父の入院11・泊まり込み】

私はいいことを思いついた。
父の病室に泊まり込むのだ。

幸か不幸か
せん妄があるので強制的に個室に入れられた。

そこなら介護者用のベッドも用意してもらえる。

早速頼んで泊まることにした。

目的は3つ。

☆父をせん妄から脱出させる。

☆夜中の投薬から解放する。

☆看護の仕方をみて大きなからだの介護方法を盗む。

これがうまくいった。
☆父をせん妄から脱出させるために
実家に置いてあった父のお気に入りを持ち込んだ。
いつも着ていた上着をハンガーに掛けて病室に吊り
病院の引出に
父の大切な手帳、名刺入れ、財布を用意。

父が欲しいものはドラエもんのポケットのように
何でも出てくるようにした。

ここが自分の家だと思っているときは病室が我が家になり
病院だと思っているときはもちろん病室だ。

そこに私が寝泊まりすることで
さらに父は安心した。

相変わらず
何度もベッドから立ち抜け出すが
それはただただ、トイレに行きたいだけだった。

1時間に3度くらいトイレに行く。
出ても出なくても行きたくなるのだ。
いわゆる頻尿。
これも私がいなければ
トイレに行く度にナースコールが自動的に鳴り響き
父の方が何事かとおびえてしまう。。。の繰り返しだった。

私が介助することで
気が済むまでトイレに通い
結果、それが結構な腰のリハビリになったりした。

もちろん、暴れることがないので
夜中に投薬されることもない。

日中の看護師さんの介助を見ているうちに
私も父のからだの介助に慣れてきた。

そんな時、東京に就職した次男が
父の様子が心配で帰宅。
息子たち3人の予定がうまく合って
3人で見舞いに来てくれた。

あっという間に元気を取り戻した。

父はせん妄から立ち直り
落ち着きを取り戻して
普段の父にもどりつつあった。

私も泊まり込みをやめ
自宅に戻った。

そんな安堵の日々も2日だけ。
次の難儀が待っていた。

2013.05.08

連載☆明るい介護㉛【父の入院10・転院?】

その医者の妻である友達に相談してみた。
ご主人は某有名病院の院長さんだ。

実家の近くのケアの行き届いた病院を探そうと思って
ことの経緯を話した。

きっと
「大変だったねー。すぐに病院紹介するわー」と
返事が返ってくるものと思っていた。

そしたら彼女は予想外の答えを言った。

「病院もお気の毒ねー。
一生懸命やっても手が回らない現状は変えられないものね。
夜中に投薬をやめろって言われても
そんなことしたら看護師さんのからだも持たないわ。

タッキー先生。
あなたの選択肢は間違っているわ。
病院はどこも事情はあまり変わらないよ。
その病院にするか別の病院にするかではなく
病院に任せるか自宅に連れて帰るかのどちらかよ。」

彼女自身実の父親の介護の時
父のせん妄から取り返しのつかない状況で亡くなり
お姑さんに関してはそれを教訓に自宅で看取った人だった。

そうか。。。
彼女にも苦い経験があったんだ。


私は自分の思い違いに気づいた。
そうだ。。。。。。
転院ではなく
どうやったら早く自宅に帰れるかを考えよう。。。。

その時
母のリハビリ担当の先生のことを思い出した。

リハビリの先生の言うとおりだった。

でも。。。
今は大きな父のからだを自宅で看ることはできない。

::::::::::::::::::::::::::::::

そうだ!
その時、私はいいことを思いついた。

2013.05.07

明るい介護㉚【父の入院9・せん妄】

病院にかけつけると

自分がどこにいるのかわからなくなった父がいた。

一緒に連れて行った母を見て

「お前はいったいどこに行ってたんやー。

 わしを放っておいていいと思ってるのかー。」

と母の胸ぐらをつかんで叫んだ。

父が母に乱暴なことをするのを見たことがない私たちは

完全にからだが固まった。

私と弟にも

「お前らは子供やない。帰れー。」と叫んだ。

 

帰れと言っているけど

ここが病院なのか

自宅なのかさえ分かっていない父の姿。

 

主治医や看護師さんに誘導され

私たちだけが別室に連れて行かれた。

 

お医者さまの話はこうだった。

「あんな感じでせん妄が起こり

 夜中50人の患者を2人の看護師で看ている現状から

 お父様だけをお薬なしで看護できない。」

といった内容だった。

 

私は愕然とした。

あの父の様子を見て

それは本人のせいだから

私たちは薬を使うしかないのですよ。。。と

言われたようなものだ。

 

心の底から

医者なのか看護師なのか母なのか自分なのか

誰に対してかわからない「怒り」の感情が突き上げてきた。

 

そう思ったら

既に私は語り始めていた。

 

お世話になっていること、

父が皆様のご迷惑になっていること

いろんなことへの感謝の気持ちと

お詫びの気持ちが入り混じっている。

 

だけど

1、現状の看護体制に大きな疑問を感じるということ。

2、そもそも

  母の医療過誤が原因で母の入院が長引き、

 父の入院はそれが遠因であること。

3、それでも両親を看ていただく患者家族の立場から

  精いっぱい病院の意向に沿って

  両親の治療方針を家族として考えてきたこと。

4、そして自分も医療従事者だったことから

  病院の事情を分かりすぎて

家族としての立場でものが言えていなかったこと

を一気に話した。

要は

「先生たちの言うことを聞く

物わかりのよい患者と家族だったから

すっごく失敗したなあ。。。と腹が立つ」

という気持ちを

すごくすごく丁寧にぶちまけた。

 

母の医療過誤に対しても

ものわかりよく了解しすぎて

(明るい介護⑮【母の入院7】

 明るい介護⑯【母の入院8】


本来病院が考えるべき課題を

奪っていたことに気が付いた。

 

もっと真剣に患者と向き合ってくれることを

きちんと患者を守る家族として

お願いしておけばよかった。

 

今回のせん妄も

父の扱い方一つで

こんなことにならずに済んだはずだったのだ。

 

言いたいことが言えたら

少し気分が治まった。

 

ここで譲るわけにはいかない。

 

私は父のせん妄への

これ以上の薬の投与を拒否した。

 

転院も考えた。

昔から仲の良いお医者様の奥さんに電話した。

 

 


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